
ご存じの通り、コニャックはブドウ→ブドウジュース→ワイン(醸造)→蒸留→熟成という工程を経てコニャックとして製品化されます。
蒸留や熟成については多く語られますが、ワイン工程に関してはあまり詳細な情報がないのも事実です。その中でも特に私が気になっているのがワイン工程におけるマロラクティック発酵(Malolactic Fermentation:MLF)です。
マロラクティック発酵はコニャックに限らず通常のワイン醸造においても一般的な工程ですが、蒸留を前提とするコニャック用ワインにおいては、その役割や意味合いが大きく異なります。今回は実際にコニャック生産者(ABK6コニャック、フランソワヴォワイエ、BRAASTADなど)に聞いたマロラクティック発酵の現実とコニャックとの因果関係をもとに、マロラクティック発酵の必要性とその影響について整理していきます。
マロラクティック発酵とは何か?
マロラクティック発酵(MLF)とは、ワイン中のリンゴ酸が、乳酸菌(主に Oenococcus oeni)によって乳酸に変換される微生物的な反応です。
この過程によって、
- 酸味がシャープから丸みのある印象に変わる
- ワインのpHがわずかに上昇する
- 香味が安定しやすくなる
といった変化が起こります。

マロラクティック発酵が起こるための必要条件
乳酸菌が活動するための条件は、以下が揃うことです。
| 条件 | 数値・状態 |
| アルコール度数 | 8–12% vol |
| pH | 約3.1–3.6 |
| 温度 | 15–25℃ |
| 栄養 | アルコール発酵後のワインには十分存在 |
| 二酸化硫黄(SO₂) | 低い(コニャック原酒はほぼ無添加) |
一般的なスティルワインの世界では、マロラクティック発酵は「必須ではないが、スタイルに応じて選択される工程」です。シャルドネなどでは積極的に行われ、リースリングやソーヴィニヨン・ブランでは避けられることもあります。
重要なのは、マロラクティック発酵(MLF)はアルコール発酵(FA)とは別の工程であり、必ず起こるものではないという点です。
ワインの場合、この工程は飲みやすさや安定性の向上を目的として広く採用されていますが、コニャックでは「飲用ワイン」ではなく「蒸留原料」としての性格が重要となります。
コニャックではマロラクティック発酵を行うのか?
結論として、現在のコニャック生産においては、ほとんどの生産者が何らかの形でマロラクティック発酵を行っています。(意図的に行っていない生産者もあります。後述。)
コニャックにおいて、マロラクティック発酵は義務ではありません。BNIC(コニャック統制委員会)のAOC規定でも、マロラクティック発酵を行うことは義務付けられていません。
しかし実際の現場では、多くの生産者がマロラクティック発酵を「行っている」、あるいは「自然に起こっている」というのが現状です。
これは、マロラクティック発酵をしたほうが良いからという思想的な理由ではなく、現在のコニャック地方の環境条件が、マロラクティック発酵を非常に起こしやすい状態にあるためです。
ここで重要なのは、マロラクティック発酵を行うか・行わないかという単純な二択ではなく、マロラクティック発酵をどの程度、どのように管理するかという視点です。
過去のコニャック造りにおいては、マロラクティック発酵を意図的に促進・抑制するという考え方自体が、現在ほど明確ではありませんでした。温度管理や微生物制御の技術が限られていた時代には、マロラクティック発酵が進行する場合もあれば、蒸留までに十分進行しない場合もあり、その挙動は年や環境によって大きく左右されていました。
つまり、「マロラクティック発酵を行わないことを目的としたスタイル」が確立していたわけではなく、マロラクティック発酵は結果として起きるかどうか、という性質のものでした。
なぜ現在はマロラクティック発酵を行う生産者がほとんどなのか?
現在、マロラクティック発酵が広く採用されている背景には、明確な理由があります。
気候変動と発酵挙動の変化
近年のコニャック地方では、収穫期の気温上昇により、ブドウの成熟が進みやすくなっています。その結果、
- ぶどうの糖度が上昇
- アルコール発酵後のワインは9–10% vol
- pH がやや高め
- アルコール発酵後のワイン温度が下がりにくい
- 乳酸菌が活動しやすい環境が整いやすい
という状況が生まれています。
ワインの一次発酵(FA)が終わると次のような状況が発生します。
酵母が死滅・沈殿
↓
ワイン中の競合微生物が減少
↓
乳酸菌が活動しやすくなる
↓
一次発酵=マロラクティック発酵開始可能状態
また、コニャックのワイン工程においては亜硫酸の添加は禁止(またはごく少量)されており、殺菌ろ過は行いません。そのため後述する「ワインの低温化」以外には基本的にマロラクティック発酵を止める手段がないことが挙げられます。
このため、マロラクティック発酵が自然発生しやすくなっているのが現実です。意図せず部分的なマロラクティック発酵が進行するリスクを考えれば、最初からマロラクティック発酵を行った方が、酒質の安定性や再現性が高くなります。
マロラクティック発酵を行うためのコスト
マロラクティック発酵を「行わない」ようにするためには、ワインの温度管理を徹底し、常に10℃以下に保ち乳酸菌を不活性化する必要があります。
ワインの温度が12℃~15℃になると乳酸菌は再び代謝を開始し、リンゴ酸→乳酸への変化が進行します。一度始まったマロラクティック発酵は進行を止めることが困難です。
そのためにはワインタンクやワインの保管時に莫大なエネルギーコストがかかります。結果としてそのコストは製品価格に跳ね返り、価格の高騰を招きます。そのため、そこまでマロラクティック発酵をコントロールするためにコストをかけられないという現実があります。

酒質の安定性と蒸留適性
マロラクティック発酵を行わない場合、リンゴ酸が高く残りやすくなります。リンゴ酸は乳酸に比べて刺激が強く、蒸留において以下のような影響を及ぼす可能性があります。
- 香味が青く、硬質になりやすい
- 蒸留中に好ましくない揮発成分が生成されやすい
- 微生物学的な不安定性が残る
これらは必ずしも欠点ではありませんが、管理が難しく、リスクを伴う要素であることは事実です。特に複数ロットを扱い、ブレンドを前提とする生産者にとっては、マロラクティック発酵による安定化は合理的な選択となります。
マロラクティック発酵ありと無しではコニャックにどのような影響が出るのか?
まずどのような特徴に分かれるのか表にまとめてみました。
| 項目 | マロラクティック発酵あり | マロラクティック発酵なし |
| 有機酸組成 | 乳酸主体 | リンゴ酸が多く残る |
| 蒸留中の反応 | 乳酸由来エステル生成 | リンゴ酸由来エステル主体 |
| 香りの方向性 | ミネラル、クリーミー、バター、丸み | シャープ、フレッシュ、フルーティー |
| 熟成初期の印象 | 早く丸くなる | 立ち上がりは硬い |
| 熟成耐性 | 中〜短期向き | 長期熟成に向く |
| テクスチャー | 柔らかい | 緊張感・直線的 |
マロラクティック発酵を行った場合の特徴
マロラクティック発酵を経たワインを蒸留したオー・ド・ヴィー(蒸留したてのコニャック)は、一般的に以下の傾向を示します。
- 口当たりが丸く、ボディ感がある
- 香りが過度に前に出ず、構造が感じられる
- 若い段階からバランスが取りやすい
また、蒸留および熟成の過程で、エチルラクテート、ラクトン系化合物が増えやすくなり、ボディ感、密度、重心の低さが強調されます。熟成初期から完成度が高く、比較的早い段階で商品化しやすい原酒になりやすい点も特徴です。
この「香りが前に出すぎず、味の構造が立つ」状態が、官能評価でいうミネラル感として表現されるのです。
なぜマロラクティック発酵を行うと「ミネラル感」が出るのか
まず大前提として、ミネラル感は“ミネラルを飲んでいる感覚”ではない
これはワイン科学・蒸留酒官能評価の共通認識です。
官能的なミネラル感は、主に次の要素の組み合わせです。
- 低い揮発的フルーティーさ
- 酸の質(鋭さではなく“持続”)
- 塩味・苦味の閾値下刺激
- 口中での密度と重量感
マロラクティック発酵を行わない、あるいは抑制した場合の特徴
一方で、マロラクティック発酵を抑制した場合には、次のようなリンゴ酸由来のシャープな骨格が残ります。
- 香りの立ち上がりが明確
- フルーティーで直線的
- 若い段階では硬さを感じやすい
マロラクティック発酵を行わないワインでは、リンゴ酸が高濃度で残ります。
リンゴ酸は「シャープで直線的な酸」「揮発性エステルを形成しやすい」という性質を持っています。
この状態で蒸留を行うと、エチルマレート、エチルヘキサノエート等の要素が多く現れ、それらは青リンゴ、洋梨、柑橘の皮といったフレッシュで分かりやすいフルーティーな香りを持つエステルが前面に出やすくなります。
その結果、生産者が言うところの「フルーティーなオー・ド・ヴィー」 が生まれます。
ただしこれは「軽い」「薄い」という意味ではありません。酸は高く、構造はむしろ硬質で、若い段階では評価が分かれやすいスタイルでもあります。
また、マロラクティック発酵を行わないワインを蒸留する場合、蒸留技術そのものに高度な調整が必要になります。
リンゴ酸由来の攻撃的な香味を避けるため蒸留時に初期加熱を低温で行い、酸由来の揮発性欠陥成分を抑制します。また、カットの際はヘッドとテールを広く捨て、ハートを極端に絞るなどの細かいコントロールが必要となる場合があります。
また同じく熟成でも扱いが難しくなり下記のような工夫が施されることもあります。
- 新樽使用を控える
- タンニン抽出を抑える
- 温度の高い熟成庫を避ける
これは、酸の硬さを、木の要素で増幅させないためです。
これらの原酒は、扱いが難しい反面、長期熟成を経た際の変化幅が大きいという特性を持ちます。ただし、このスタイルは高度な管理と明確な設計思想を必要とします。
各生産者のマロラクティック発酵の有無
こちらは私と交友のある生産者から聞いたマロラクティック発酵の有無です。実態として参考になれば幸いです。
ABK6コニャック
基本的にすべてのワイン工程においてマロラクティック発酵を行っている。
マロラクティック発酵を行うか行わないかの厳密な制御は行っていない。
フランソワヴォワイエ
約80%のワインはマロラクティック発酵を行っている。
ただし、マロラクティック発酵を行うか行わないかはそこまでこだわっていない。マロラクティック発酵を行うか行わないかによる影響は些細なので、それよりもエネルギーコストを重視している。
Braastad
基本的にマロラクティック発酵を行わないワインを使用している。
フルーティーさと自然な酸度、長期の熟成に耐えうるワインのポテンシャルを重視している。
レオポルドグルメル
基本的にマロラクティック発酵を行わないワインを使用している。
マロラクティック発酵は重要視されているのか?

実際の生産者の話を聞く限りの印象ですが、マロラクティック発酵は多少コニャックの質に影響を与えるが、その影響範囲はそこまで大きくないので、蒸留工程や熟成工程ほどは重要視されていない・・・・
というのが正直な印象です。
Braastadやレオポルドグルメルのように意図的にマロラクティック発酵を行わない、あるいは極力抑制する生産者は現在でも存在します。ただし、それは決して一般的な手法ではなく、明確な目的と高度な管理能力を前提とした例外的なスタイルです。
このような生産者は、短期的な完成度よりも、熟成による変化やテロワール表現を重視する傾向があります。
結局どちらのスタイルがコニャックに向いているのか?
現実的に現在の環境と市場を考えると、マロラクティック発酵を行うスタイルが合理的で主流。一方で、マロラクティック発酵を抑制したスタイルは、より細かなこだわりやハウススタイルの表現の幅を広げる存在と言えるでしょう。
まとめ
- コニャックにおけるマロラクティック発酵は、AOC規定上の義務ではない
- 現在の生産現場では自然条件・酒質の安定性・コスト面から、結果的にほとんどの生産者で行われている
- マロラクティック発酵を行ったオードヴィーはミネラル、クリーミー、バター、丸みを感じさせる
- マロラクティック発酵を行わないオードヴィーはシャープ、フレッシュ、フルーティーさを感じさせる
- マロラクティック発酵を行うか行わないかによるコニャックへの影響度は蒸留や熟成工程と比べると低い印象がある
- マロラクティック発酵を行わないスタイルも存在するが、例外的で明確な設計思想を前提とした選択
コニャックにおけるマロラクティック発酵の有無は優劣ではなく、どのような酒質を、どの時間軸で完成させたいかという設計の違いと理解するのが最も実態に近いと言えるでしょう。
