
ピノー・デ・シャラント(Pineau des Charentes)は、コニャック地方を代表するアルコール度数17%前後の甘口のヴァン・ド・リキュールです。その製法を簡単に説明すれば「ブドウ果汁+コニャック」という非常にシンプルなもの。
これまでも過去の記事ではシンプルにブドウ果汁+コニャックと説明してきましたし、多くのピノー・デ・シャラント愛好家もそのような認識であると思います。
参考記事
→ピノー・デ・シャラントとは何か?ワイン?ブランデー?
しかし、ピノー・デ・シャラントの生産者の元を訪れ、生産工程の話を聞いたり、ピノー・デ・シャラントAOC規定を詳しく見ると、実は一つ興味深いことが分かります。
使用する果汁は、必ずしも完全に「未発酵」である必要はないのです。
発酵初期段階のブドウ果汁も使用するという事実です。
そのようなピノー・デ・シャラントでは収穫したブドウを搾り、得られた果汁(moût)にコニャックを加える「ミュタージュ(mutage)」によって発酵を止め、ブドウ由来の糖分を残したまま熟成させます。ピノー・デ・シャラントの公式な生産者団体も、コニャックを加えるミュタージュを製造の核心と位置づけています。使用するコニャックのアルコール度数は最低60%volで、この工程によって果汁の発酵が中断されます。
現在のAOC規定では、果汁は「発酵の初期段階を経ていてもよい」と明確に規定されています。さらに、ミュタージュを行う時点で一定量以上の未発酵糖を残していることが条件です。
→参考文献はコチラ
「発酵した果汁」を使ってもヴァン・ド・ナチュレではないのか?
ここで一つ「これってヴァン・ド・ナチュレじゃないの?」という疑問が生まれます。
ヴァン・ド・リキュールと同じような酒精強化ワインの中に「ヴァン・ド・ナチュレ(Vin doux naturel)」が存在します。ヴァン・ド・ナチュレは未発酵のブドウ果汁の代わりに、発酵中のワインを使用し、それに蒸留酒を加えて発酵を停止させる製法の酒精強化ワインを示します。

ピノー・デ・シャラントにおいても「発酵中の果汁にアルコールを加えることがOKなのであれば、ヴァン・ド・ナチュレなのではないか?」という疑問を抱く事になります。
答えは違います。
ピノー・デ・シャラントは、あくまでヴァン・ド・リキュール(Vin de liqueur)です。
重要なのは、「果汁が発酵したかどうか」だけではありません。
ピノー・デ・シャラントは、AOCコニャックを使用して果汁をミュタージュするという独自の規定に基づいて造られています。現在のAOC規定でも、ピノー・デ・シャラントは明確に「vins de liqueur」とされています。
そして、果汁については、
Les moûts peuvent avoir fait l’objet d’un début de fermentation
つまり、「果汁は発酵の初期段階を経ていてもよい」と規定されています。
したがって、発酵初期の果汁+コニャックという製法でも、それによってピノー・デ・シャラントがヴァン・ド・ナチュレに変わるわけではありません。
これは他の多くのヴァン・ド・リキュールにも当てはまることであり、ほとんどのヴァン・ド・リキュールは一部発酵初期段階のブドウ果汁を用いることがあります。
では、なぜピノー・デ・シャラントは果汁を少し発酵させるのでしょうか。その背景を理解する鍵となるのが、ブドウの糖度です。
ピノー・デ・シャラントは、なぜ甘いのか?
通常のワインでは、ブドウ果汁に含まれる糖分を酵母が消費し、アルコールへと変換していきます。
一方、ピノー・デ・シャラントでは、発酵が進む前、あるいは発酵の初期段階でコニャックを加えます。コニャックによってアルコール濃度が急激に高くなることで酵母の働きが止まり、果汁中に残っていた糖分がそのまま残ります。
ブドウ果汁
↓
コニャックを加える
↓
発酵を止める
↓
糖分が残る
↓
甘口のピノーになる
という仕組みです。ピノー・デ・シャラントは、ブドウそのものが持つ甘味をコニャックとともに閉じ込める酒、と考えることもできます。

「発酵初期の果汁」とは、具体的にどのくらいなのか?
ここが今回のテーマで最も重要な部分です。
AOC規定では、単に「少し発酵させてもよい」とだけ書かれているわけではありません。
現在の規定では、
果汁は発酵の初期段階を経ていてもよい。ミュタージュ時点で、糖分が170g/Lを超えていなければならない。
という条件が設定されています。密度については1.075超という基準も併記されています。
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つまり、「発酵初期」を発酵時間やアルコール度数だけで定義しているわけではないのがポイントです。
発酵が進めば、酵母が糖分を消費します。
したがって、
発酵が進む
↓
糖分が減る
↓
アルコールが増える
という関係になります。
そこで、ミュタージュの時点で十分な未発酵糖を残していることを条件にすることで、発酵をどこまで進められるかを実質的にコントロールしているのです。
ピノー・デ・シャラントの「発酵初期」を示すAOC上の基準
| 項目 | 基準 |
|---|---|
| 果汁の発酵 | 発酵初期まで認められる |
| ミュタージュ時の未発酵糖 | 170 g/L超 |
| 果汁の密度 | 1.075超 |
| ミュタージュに使用するコニャック | 60%vol以上 |
| 完成したピノー | 16~22%vol |
AOCの現在の生産規定では、ミュタージュに使用するコニャックは最低60%vol、完成したピノー・デ・シャラントのアルコール度数は16~22%volと定められています。
糖分170g/Lとはどのくらいなのか?
ここで、今回BNICから提供された資料に掲載されている糖度・潜在アルコール換算表が非常に参考になります。
こちらの写真はドルーエに訪問した際に見せて頂いた換算表です。

この表では、果汁の密度と糖分、さらにその糖分が完全に発酵した場合に生成される「潜在アルコール度数(Alcool probable)」の関係が示されています。写真の表は項目が多いため、ピノー・デ・シャラントに関わりのある重要な部分だけ切り出してみてみましょう。
| 密度 | 糖分 | 潜在アルコール |
|---|---|---|
| 1.069 | 159.3 g/L | 9.47%vol |
| 1.072 | 167.0 g/L | 9.93%vol |
| 1.075 | 174.7 g/L | 10.38%vol |
| 1.078 | 182.4 g/L | 10.84%vol |
| 1.080 | 187.5 g/L | 11.15%vol |
| 1.085 | 200.5 g/L | 11.91%vol |
| 1.090 | 210.5 g/L | 12.51%vol |
ここでいう「潜在アルコール」とは、現在果汁に含まれている糖分がすべて発酵した場合に、理論上どの程度のアルコールになるかを示す数値です。
したがって、例えば糖分200g/L程度の果汁であれば、完全に発酵させた場合には約12%vol相当のアルコールを生み出すだけの糖分を持っていることになります。
ただし、ピノーではそこまで発酵させません。AOCでは、ミュタージュ時点で170g/Lを超える未発酵糖を残す必要があるからです。
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つまり、糖分を一部だけアルコールへ変換した段階でコニャックを加え、発酵を止めるということになります。
で、結局初期発酵のブドウ果汁のアルコール度数は?
とはいっても実際に気になるのは初期発酵のブドウ果汁のアルコール度数は結局どのくらいよ?ということです。
先述した通り、「初期発酵は〇%~〇%」とアルコール度数で表すことは適切ではありません。基準となるのは、ミュタージュ時に170 g/Lを超える未発酵糖が残っていることです。つまり、発酵によって糖の一部がアルコールへ変換されているものの、まだ大量の糖分を残した段階でコニャックを加える、という考え方です。
具体的にアルコール度数と糖分の変化を表に表すとすると下記のようになります。
| 状態 | 糖分の変化 | アルコール | 意味 |
|---|---|---|---|
| 発酵開始前 | 例:200 g/L | 約0%vol | 果汁本来の状態 |
| 発酵初期 | 例:190 g/L | 約0.6%vol | 酵母が糖を消費し始める |
| 発酵初期~中期 | 例:180 g/L | 約1.2%vol | 糖分の一部がアルコールへ |
| ミュタージュ可能な下限付近 | 170 g/L超 | 概ね1.5~2%vol程度の範囲になり得る | ここでコニャックを加えて発酵を止める |
| 完全発酵した場合 | ほぼ0~2 g/L | 約10~12%vol | 通常のワインに近い状態 |
無理やり結論付けるとすると、ピノーデシャラントを作る際に使用される初期発酵段階のブドウ果汁のアルコール度数は「1.5%~2%くらい」という事ができそうです。
発酵させることで「甘さ」を調整できる
例えば、非常に単純化して考えてみましょう。
収穫した果汁の糖分が、200g/Lだったとします。
この果汁をすぐにミュタージュすれば、200g/L近い糖分を残した状態でピノー・デ・シャラントを造ることになります。
しかし、少し発酵させれば、200 → 190 → 180 → 175g/Lというように、酵母によって糖分の一部が消費されていきます。
そして、十分な糖分が残っている段階でコニャックを加えれば、その時点で発酵を止めることができます。
つまり、下記のような製造工程が可能となります。
高糖度の果汁
↓
発酵開始
↓
糖分の一部を酵母が消費
↓
糖分が減少し、アルコールが生成
↓
コニャックを添加
↓
発酵を停止
↓
残糖を調整したピノー
これは、単純に「甘くないピノー・デ・シャラントを造る」ということではありません。ブドウの糖度が高くなった場合でも、最終的な甘味のバランスを調整できるようにするための技術と考える方が適切です。
酸味も調整されるのか?
では、発酵させることで酸味も調整されるのでしょうか?ここは少し複雑です。
発酵によって糖分が減るため、当然ながら甘味の感じ方は変化します。また、発酵によってアルコールが生成されるほか、酵母によってさまざまな香味成分が生まれるため、果汁そのものの風味も変わります。
しかし、「発酵させれば酸味が増える」という単純な関係ではありません。
むしろ近年のブドウ栽培では、
気温上昇
↓
ブドウの成熟が早く進む
↓
糖度が上昇
↓
一方で酸度が低下する
という現象が問題となっています。
この点についても、コニャックの生産者団体であるBNICの2025年の収穫・醸造指針が興味深い情報を示しています。
BNICは2025年の指針で、成熟調査においてすでに果汁の総酸度が低く、温暖な気温によってブドウの成熟が速く進んでいることを指摘しています。また、果汁の潜在アルコール度数(TAVp)が10.5%volを超える場合、発酵終了が難しくなるリスクがあるとして、収穫時期を適切に管理するよう生産者に求めています。
これは、現在のコニャック産地において、高糖度・低酸度化が実際の醸造上の課題になっていることを示す重要な資料です。
「TAVp=潜在アルコール度数」という考え方
BNICの資料で頻繁に登場するのが、TAVp(Titre Alcoométrique Volumique potentiel)です。
日本語では「潜在アルコール度数」と考えることができます。
これは簡単に言えば、
現在果汁に含まれている糖分がすべて発酵した場合、何%volのアルコールになるか
という指標です。
BNICは2025年の醸造指針で、TAVpが10.5%volを超える果汁では発酵終了が難しくなるリスクが高まるとしており、収穫時期の管理を推奨しています。
一方、今回の糖度換算表では、例えば密度1.085の果汁は糖分200.5g/L、潜在アルコール11.91%volとされています。
つまり、
ブドウの糖度が高くなる
= 潜在アルコール度数も高くなる
ということです。
そしてピノー・デ・シャラントでは、この「糖度の高さ」がそのまま「最終的な甘味の強さ」にもつながります。ここに、発酵初期の果汁を利用する意味があります。
実は、この規定は「2016年」に初めてできたわけではない
ここは今回の調査で特に注意すべき点です。
私が2025年9月にコニャックに渡航した際、とある生産者からは、
「2016年頃から、気温上昇によってブドウの糖度が高くなりすぎる問題に対応するため、発酵中の果汁を使えるようになった」
という話を聞きました。
この背景自体は、現在のブドウ栽培・醸造環境を考えると非常に納得できるものです。しかし、「2016年に初めて法的に解禁された」とするのは正確ではありません。
なぜなら、1945年10月12日に制定されたピノー・デ・シャラントのAOC規定を確認すると、すでに、「果汁は発酵の初期段階を経ていてもよい」という規定が存在しているからです。
さらに同じ1945年の規定で、ミュタージュ時に未発酵糖が170g/L未満になってはならないことも定められていました。
→参考文献はコチラ
つまり、発酵初期の果汁を使うこと自体は、ピノー・デ・シャラントの歴史のかなり早い段階から認められていたのです。
では、なぜ「2016年」が生産者の記憶に残っているのか?
ここはまだ興味深い謎として残ります。
2016年前後には、実際にピノー・デ・シャラントのAOC生産規定について大規模な見直しが行われています。
INAOの資料によれば、AOCの規定変更についての正式な申請は2015年7月17日に行われ、2015年12月には審査が開始されています。
2016年には、品種、灌漑、収量、熟成・表示など、複数の項目について改定作業が進められました。
→参考文献はコチラ
しかし、2016年の審議資料を見る限り、「発酵初期の果汁を初めて許可する」という改定が2016年に行われたことは確認できません。
したがって現時点では、
2016年=発酵果汁の法的な解禁年
とは考えない方がよいでしょう。
一方で、
2016年頃から、気候変動によるブドウの高糖度化への対応として、この製法が生産現場でより重要になった
という意味であれば、生産者の証言と現在の醸造環境は話が合っています。この点については、もう少し詳細に生産者やBNICに確認する必要がありますね。
気候変動がピノーの造り方にもたらしたもの

ピノー・デ・シャラントの基本的な製法は、何百年にもわたって大きく変わっていません。ブドウを収穫し、果汁を得て、コニャックを加える。
非常にシンプルです。
しかし、そのシンプルさゆえに、ブドウそのものの変化が酒質に直接影響します。
気温が上昇し、ブドウの成熟が早く進めば、糖度は高くなります。糖度の高い果汁をそのままミュタージュすれば、より多くの糖分が残ります。
そこで、発酵させないという従来のイメージだけではなく、「どこまで発酵させてからコニャックを加えるか」という選択肢が重要になってきます。
発酵によって糖分の一部をアルコールへ変換し、そのタイミングでコニャックを加えて発酵を止める。これはピノーを別の酒に変えるための技術ではありません。むしろ、変化するブドウから、これまでと同じようなバランスの酒を造り続けるための技術と考えることができます。
ピノー・デ・シャラントにおける「発酵初期の果汁」という規定は、単なる製法上の例外ではありません。そこには、ブドウの糖度、酸度、発酵、アルコール、そして最終的な甘味のバランスをどのように取るかという、ワイン醸造と蒸留酒造りの間にある、非常に興味深い技術が隠されています。
まとめ
ピノー・デ・シャラントは、ブドウ果汁+コニャックによって造られるヴァン・ド・リキュールです。
しかし、使用する果汁は必ずしも完全な未発酵果汁である必要はありません。
AOCでは、発酵の初期段階を経た果汁も使用可能であり、コニャックと果汁を混ぜる「ミュタージュ」時には170g/L超の未発酵糖を残すことが求められています。
これは、発酵によって糖分の一部をアルコールへ変換したうえでコニャックを加え、最終的な糖分と味わいのバランスを調整できることを意味します。
そして現在のコニャック産地では、BNICが高い潜在アルコール度数や低い酸度、急速な成熟への対応を生産者に呼びかけています。
気候が変われば、ブドウも変わる。
そしてブドウが変われば、伝統的な酒の造り方にも新たな調整が必要になる。
ピノー・デ・シャラントにおける「発酵初期の果汁」は、そんな時代の変化を映し出す一つの技術なのかもしれません。