ブランデー知識【中級編】

コニャックの大事な歴史・出来事を年代別にまとめたよ

これまで当サイトではあまり触れてこなかったコニャックの歴史をまとめてみましょう。

世界で最も有名なフランスのブランデーである「コニャック(Cognac)」の歴史は1世紀にまで遡ります。数々の自然・経済・情勢が絡み合うコニャックの長い歴史を紐解いていきます。

前提知識

まずこの年表を見る前に「コニャックって何?」を知らなければ意味が分からない。簡単に前提条件となる情報を羅列します。

  • コニャック(Cognac)はフランスのシャラント・マリティーム県にある町の名前
  • コニャック(お酒)は上記フランスのコニャック地方で造られるブドウが原料のワインを蒸留した「ブランデー」のこと
  • 現在コニャックはその作り方がフランスのAOC(原産地呼称統制)により厳しく規定されている
  • このコニャック作りの決まりが明確に制定されたのは1936年のこと

これらを踏まえた上で1世紀のローマ帝国時代まで遡っていきましょう。

コニャック地方のワイン作り

まずはコニャックの元となるワイン作りの歴史から

1世紀
ローマ帝国の第11代皇帝ティトゥス・フラウィウス・ドミティアヌス帝がワイン作りを禁止する。

3世紀
ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・プロブスがガリア人(古代ローマ人)に対し再びブドウ畑の所有とワイン作りを許可する。サントンジュ地方でブドウ栽培が拡大する。

12世紀
ギヨーム10世(ギュイエンヌ公、ポワティエ伯)によってヴィニョーヴィル・ド・ポワティエ(ポワティエ葡萄園)と呼ばれる広大な葡萄園が開発される。

1204年
フランス南西部にある港湾都市ラ・ロシェルからイングランドに初めてワインを売る。
ラ・ロシェルは現在のコニャックが存在するシャラント マリティーム県の県庁所在地で12 世紀以来、漁業と貿易の中心地として栄えた街。

1270年
サントンジュ地方の塩とワインがハンブルグ(ドイツ)で取引される。
現在もコニャックの作り手として有名なフラパン(Frapin)一家がシャラント地方に定住する。

1411年
初めて「ブランデー」がアルマニャック地方で蒸留される。当時は主に農家で消費される蒸留酒だった。

1494年
フランス国王となるフランソワ1世がコニャックの町に産まれる。のちにフランソワ1世はシャラント川を使った塩の貿易をすすめ、ワイン・ブランデーの貿易に大きな影響をもたらす。
※フランソワ1世はコニャックの象徴としてコニャックの町の中心部に銅像が建てられています。

コニャックの起源

16世紀の出来事概要

オランダからの商船は「シャンパーニュ」や「ボルドリ」といった高評価のワインを買い付けオランダに持ち帰るため、度々コニャックやシャラントの港に訪れた。しかしそれらのワインはアルコール度数の低さからも長旅に向かず、オランダに持ち帰る途中でせっかくのワインが劣化し酢のような状態になっていることに頭を抱えていた。

そこで当時のオランダ商人はこのワインを自分達の蒸留器で蒸留し長旅でも耐えられるようにしようとした。この頃はまだ熟成といった概念はなく、蒸留したワインを水で割ってワインの味に近づけて飲むことが目的だった。この蒸留したワインは「Brandwijn」=「焼いたワイン」と呼ばれ、「Brandy(ブランデー)」の語源となったと言われている。

1500年
アルザス地方ストラスブールにて、ドイツの外科医ヒエロニムス・ブランシュヴァイク(Hieronymus Brunschweig)が『Liber de arte destillandi』を出版する。蒸留の素晴らしさを綴った医学書。医学的視点からの蒸留方法に関する本だが、アルコールの蒸留技術に関して詳しく言及されている。

1549年
コニャック地方で初めての「ブランデー」が作られる。※歴史家André Castelotの調査資料による

1559年
オーニス地方(Aunis)のワインが過剰生産となる。オランダ商人が長期の船旅で使用していたワインの蒸留方法を用いて、オーニス地方の過剰生産されたワインを蒸留し無駄にしないようにした。ここから「Brandwijn」=「焼いたワイン」=「Brandy」が大きく広まることになったとされる。

17世紀の出来事

17世紀の初頭に現在のコニャックの蒸留方法のルーツとなる2回蒸留が試される。1回蒸留された液体をもう1回(合計2回)蒸留する方法。
元々2回蒸留は、長い輸送でも品質劣化しにくいことと、1回の蒸留よりもも2回の蒸留の方が全体の量が減り成分が濃縮されることによる輸送コストの削減を目的に始まったとされている。

コニャック地方最初の蒸留器(アランビック)はオランダ商人によって設置されたが、2回蒸留の技術を身に付けたコニャック地方のフランス人達はこの技術をより発展させるために蒸留器を急速に改良していく。

樽熟成の発見と初のコニャックブランド

現在のコニャックに見られる樽の熟成は17世紀に偶然発見されたとされている。
たまたま輸出用の船に載せ忘れられ放置されてたブランデーが入った樽の中身を飲んだ所、ブランデーの味が良くなり、水で割らなくても飲むことができるくらい円やかになっていることが発見される。これがコニャックの樽熟成の始まりとされている。

1638年
イギリス商人のLewes Robertsがラ・ロシェルとコニャックで作られたワインを"Rotchell" "Cogniacke"と呼んでいたという記録がある。

1643年
Philippe AugierがCoganc Augier(オージエ)を設立する。Augierは現在も存在する最も古いコニャックブランド。(現在はペルノリカールが所有)

コニャックの認知と有名ブランドの出現

1678年
イギリス政府による政府公報『London Gazette』にコニャック地方のブランデーが「Cogniack Brandy」として紹介される。

1715年
Jean MartellがCognac Martell(マーテル)を創設する。

1724年
Paul-Emilie Rémy Martinとその父Jean GeayがCognac Remy Martin(レミーマルタン)を創設する。

1725年
Isaac Ransonがコニャックの町に貿易会社を設立する。

1731年
ルイ15世が許可なくブドウの栽培をすることを禁じる。

コニャック輸出の始まり

1742年
コニャックの輸出が始まる。

1762年
James DelamainがジャルナックにてRansom & Delamainのパートナーとなる。

1765年
James HennessyがCognac Hennessy(ヘネシー)を設立する。

1779年
コニャックの町で新たに10もの貿易会社が設立する。

1783年
コニャックの樽にリムーザン地区の木が多く使われるようになる。

1794年
ヘネシーが北アメリカ、ニューヨークに輸出を開始する。

1795年
James HennessyがMarthe Martellと結婚。
Jean-Baptiste Antoine Otard男爵とJean DupuyがCognac Otard(オタール)を設立。

1797年
Thomas HineとElisabeth Delamainが結婚。

コニャックの繁栄とフィロキセラ

19世紀の出来事概要

数々の有名コニャックブランドの設立。

これまで樽単位で売られていたコニャックは瓶で売られるようになる。この瓶で売る新しい販売方法はコニャック地方の関連産業を大きく発展させる。瓶に使うガラス製造業、箱や蓋の製造業、ラベルの印刷業などが代表例。コニャック産業は大きく発展し、葡萄畑の面積はおよそ300,000haにまで広がった。

しかし、1874年頃からコニャック地方でも流行したフィロキセラ(ブドウネアブラムシ:根や葉に寄生した幼虫が樹液を吸って成長しブドウを枯死させる害虫)により葡萄畑は大きな被害を被り、1893年には7分の1にあたる40,000haにまで減少。その後1888年に葡萄農業委員会が設立(1892年に葡萄農業局に改編)され、対フィロキセラの長い闘いが始まった。

1805年
Léon CroizetがCognac Croizet(クロアーゼ)を設立する。

1817年
コニャックの名称にVOP(Very Old Pale)とVSOP(Very Superior Old Pale)というワードが初めて使われる。※この頃はまだ名称と熟成年数の規定はない

同1817年
Cognac Thomas Hine & Co(ハイン)が設立される。

1819年
Alexandre BisquitによってCognac Bisquit(ビスキー)が設立される。

1824年
Henri Delamainと従兄のPaul RoulletによってCognac Roullet & Delamain(のちのデラマン)がジャルナックに設立される。

1833年
ルイ・フィリップ国王がピノーデシャラントの樽を受け取る。

1835年
Felix CourvoisierとLouis GalloisがCognac Courvoisier(クルボアジェ)を設立する。

1849年
マーテルがコニャックのボトルに初めてラベルを貼る。

1850年
コニャックがオーストラリアに初めて輸出される。

1856年
ヘネシーもマーテルを追従してボトルにラベルを貼り始める。

1858年
Cognac A.E. Dor(アウドール)が設立される。

1860年
地質学者Henri Coquand (アンリ=コカン)の地質調査によりコニャック生産域の地質が区別される。のちのコニャック6つの生産エリア制定(グランドシャンパーニュ・プティットシャンパーニュ・ボルドリ・ファンボア・ボンボア・ボアゾルディネール)の基となる。
※実は初めてコニャックの地質が地図上で分けられたのは1854年で、その当時は「Grande Champagne」「Petite Champagne」「Premier Bois」「Deuxième Bois」の4エリアだったという諸説もある。ファンボアとボンボアの地質が加わったのは1870年の事とされている。

1861年
マーテルが上海で取引を始める。

1863年
Jean-Baptiste CamusによりCognac Camus(カミュ)が設立される。

1864年
ヘネシーが自身のブランドとロゴマークを商標登録する。

1875年
コニャック地方でもフィロキセラが流行しはじめる。
※フィロキセラが流行し始めた年は1872年、1874年など諸説ありますがフランスコニャック協会(BNIC)の発表ではコニャック地方での流行は1875年と記載があるため1875年と表記しています。

1876年
クルボアジェもボトルにラベルを貼り始める。

1877年
コニャック地方の葡萄畑が300,000haまで広がる。

1878年
Claude Boucherがボトルの製造技術を伝える。

1889年
クルボアジェとフラパンがパリの品評会で金賞を受賞する。

1890年
フィロキセラの影響でコニャック地方の葡萄畑が48,000haまで減少する。
このタイミングでヘネシーが台頭し、コニャック市場を牽引する大きな存在となる。

コニャックAOCの制定と現在

20世紀の大きな出来事

フィロキセラ対策として、フィロキセラに強いアメリカ種を接木の台木にした。これにより葡萄畑も徐々に復興していくことになる。接木により、これまで主流だったコロンバール、フォルブランシュといった葡萄の種類は徐々に耐久性に優れたユニブランに変わっていく。ユニブランは現在もコニャックの原料として90%以上のシェアを誇る品種。

また、19世紀にはコニャックの品質管理を規定する法律が定められ、AOCに認定される。

1909年5月1日
1860年代に行われたアンリ・コカンの地質調査に基づいてコニャックの生産地が画定・規定される。グランドシャンパーニュ・プティットシャンパーニュ・ボルドリ・ファンボア・ボンボア・ボアゾルディネール(あるいはBosi Terroir)という区分けが採用される。※正式な認可は後述の1936年

1923年
ヘネシーとマーテルがコニャックの市場情報を交換し始める。

1927年
グランドシャンパーニュ産50%以上+プティットシャンパーニュ産で作られたコニャックを指す「フィーヌ・シャンパーニュ(Fine Champagne)」という言葉が初めてレミーマルタンVSOPで使われる。

1934年
クルボアジェがコニャックの規格に「ナポレオン」という名称を使い始める。

1936年
コニャック生産域6つのエリアが正式に認定される。その他コニャックに使われる葡萄品種や蒸留方法、熟成年数など細かい製法を法律によってルール化しコニャックの品質を担保するため、コニャックはAOC(原産地呼称)に認定される。

→コニャック6つの生産域と特徴はコチラから

1946年
第二次世界大戦後、コニャックをより強固に保護するためにBureau National Interprofessionel de Cognac(BNIC)が設立される。その後コニャックAOCの管理はBINCに引き渡される。1948年には葡萄農業局を合併する。BNICは現在もコニャック製造の規格を管理する組織としてその役割を果たしている。

1967年
ペルノリカールがビスキーを買収する。

1971年
ヘネシーとモエ・シャンドンが合併する。ハインがDistillers Limited Companyに買収される。

1987年
ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー(LVMH)が設立される。ハインも吸収される。

1987年
シーグラムがマーテルを買収。その後2001年にペルノ・リカールがシーグラム・グループの酒造部門の一部を買収たことでマーテルはペルノ・リカールの傘下に入る。

2005年
コニャックの熟成年数表記XOの基準を最低熟成年数8年から10年に引き上げることに決定する。
※この決定の施行は2018年より開始。2018年4月1日以降に出荷されるXOコニャックの最低熟成が10年以上となる。

2018年
コニャック熟成年数の新規格として「XXO」が加わる。最低14年熟成のコニャックのみXXOと名乗る事ができるようになる。
(なお2021年現在あまり流行っていない模様)

コニャックの歴史まとめ

ということで、大変ざっくりとではありますが1世紀からコニャックにまつわる重要な歴史・出来事を振り返ってみました。

こう見ると、今でもコニャックを代表するブランドが出来たり、コニャック作りのターニングポイントとなったフィロキセラの世界的な流行があったりと19世紀が波乱万丈ですね。(21世紀は駆け足ですが・・・)

今回は各重要な年代を概要と共に網羅しましたが、これら一つ一つの年代に絞って深堀していっても色んなことができそうです。

少しでもフランスが誇る世界を代表するブランデーの一つ「コニャック」の成り立ちを知って頂けると幸いです。

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