コニャック滞在記2019年 冬

コニャック滞在記⑩:BRAASTAD訪問(1)ゲストハウスに初潜入!そしてBRAASTAD 1919の真意とは・・・

2019年12月30日

滞在4日目その1
2019年12月6日(金)

滞在4日目の最初は、BRAASTAD(ブラスタッド)の訪問です。

「BRAASTAD(ブラスタッド)」はTiffon(ティフォン)社のブランドの1つであり、Tiffon社はこの「BRAASTAD」と「Tiffon Cognac」の2つのブランドを展開しています。

参考サイト
BRAASTADオフィシャルWEB

国内ではブランデーカクテルのベースとしてBRAASTADカクテルエディションが有名ですね。あとは最近(私の中で)話題となっているBRAASTAD 1919など。 Tiffon Cognacの方でいうと、2019年のTWSC(Tokyo Whiskey and Sprits Competeition)で最高金賞を受賞したVIEUX SUPERIEURなど。しかしそれ以外のBRAASTADのコニャックラインナップは国内ではあまり見かけない、というか輸入されていないので、その辺も最後のテイスティングで少し触れてまいりましょう。

Hotel Chais Monnetに別れを告げ、タクシーを呼んでもらい朝9時にBRAASTAD本社があるJarnacのシャラント川沿いに到着。ちなみにこのHotel Chais MonnetとCognac←→Jarnac間のタクシー代がめちゃめちゃ高かった話はコチラ

Tiffon BRAASSTAD本社の場所はコチラです↓

ちなみに、Jarnacのこのシャラント川沿い周辺は比較的大きなコニャックブランドが集まっている場所でもあり、クルボアジェ、HINE、デラマンといったコニャックの有名どころが密集している場所でもあります。

到着と同時に、以前より連絡を取っていたTiffon BRAASTADファミリーの一人、Edouard Braastadさんが車で出迎えてくれました。

「ハロー!何ボサっと突っ立てんだい?You 乗っちゃいなよ!」

的なノリで出迎えてくれたEdouardさん。予想以上にフランクな人だった。年は多分私と同じくらいの30代。(違ってたらすみません)

なお、Tiffon社の名マスターブレンダーとして知られるリカルド ブラスタッド氏は彼の叔父に当たります。
↓リカルド氏↓

生産ラインや熟成庫がある本社を後に、まずは最初にBRAASTADが所有する畑と、ゲストハウスに向かいます。このゲストハウスがまた凄いんだ・・・。

ファンボアの畑の様子

Tiffon社はグランドシャンパーニュに10ha、ファンボアに30ha、合計40haの自社畑を所有しています。

今回はファンボアの畑にお邪魔しました。Jarnac市街地から車で10分程進んだ場所にあります。

雨上がりで瑞々しいブドウの枝

サラっと見ただけでしたが、ここは是非9月の収穫時期にまた来てみたいですね!きっと緑いっぱいで奇麗でしょう・・・

ゲストハウスがすげーの

その後はTiffonが所有するゲストハウス・・・というかお城にお招き頂き、少しお茶の時間とEdouardさん色々ゆっくりお話しする時間を設けてもらうことに。

Chateau de Triacというお城。

これは入口の外壁

場所はコチラ↓

ここがまたすげーの何のって。

洋館というか、もうお城ですねお城。映画に出てくるやつ。

庭もめちゃめちゃ広いし。何か馬とか走ってるし。

入口から少し歩くと見えてくる建物
実際見るとかなりデカい
応接室から出られる建物の裏側に広がる広大な庭。というかもはや牧場。
庭側から見た建物。窓は最近リフォームしたばかり。

この建物は1946年にTiffon社が購入し、現在はTiffonの重要な顧客やVIP客を受け入れる際のゲストハウスとしても使用している建物。2階はホテルのようにいくつかの部屋に分かれており、宿泊することができます。ただ通常のホテルのように一般客は受け入れていません。

窓とか古くて隙間風があるので、窓とか一部改装中。

この建物は実際にBRAASTADファミリーが住んでた建物でもあり、Edouardさんも幼少時代はここで過ごし、子供部屋もあったそう。今はその部屋はゲスト用の部屋として改装されています。

Tiffon社の歴史を振り返る

暖かい応接室に移動し、紅茶を飲みながらしばしここでTiffon社の歴史を振り返ります。BRAASTAD 1919の記事でも軽く書きましたが、Edouardさんの話も踏まえて改めて少し詳しく。

Tiffon社は現在5世代にわたってコニャックに携わってきたコニャックの名家。現在の従業員は約20名で、経営やブレンドなど主要な部分は全て家族で行っているファミリー経営のコニャック生産者です。事の始まりは1875年に遡り、Tiffon家とBRAASTA家の両方の歴史を辿ることから始まります。

第1世代:Tiffon家1875年~

Tiffon社の創設者であるMederic Tiffon氏がコニャック地方Jarnacのシャラント川の南側のほとりに小さな蒸留所を立ち上げる。Mederic Tiffon氏は現在5世代目であるEdouardさんの「ひいひいおじいちゃん」の世代に当たります。 Mederic Tiffon氏には2人の子供がいて、一人は若い時に亡くなり、もう一人は全くコニャックとは関係ない仕事に就きMederic Tiffon氏の蒸留の仕事を引き継ぐ気はなかったそう。そこで彼は姪であるEdith RousseauにこのTiffon社を引き継がせることにしました。

第2世代:Brasstad家1879年~

場所は1879年のノルウェーに移ります。そこでBRAASTADの立ち上げの原点であるSverre Braastad氏が生まれます(Edouardさんの曾祖父)。

Sverre Braastad氏
出展:https://braastad.com/

その後Sverre Braastad氏は1899年にフランスに移住し、現在もコニャックの生産者として有名な「ビスキー」社でコニャックのセールスに携わり始めます。そして先ほど登場したTiffon社のEdith Rousseauと出会い、付き合いを重ね1913年に結婚。そして節目となったのが第一次世界大戦が終わった翌年の1919年。それまで働いていたビスキーを辞め、妻であるEdith Rousseauと共にTiffon社を引き継ぐことになり、コニャックブランド「BRAASTAD」が誕生しました。

Sverre Braastad氏とEdith Rousseauさん

今(2019年)からちょうど100年前のことです。

ここまでが先日購入したBRAASTAD100周年記念ボトル「BRAASTAD 1919」が生まれた背景です。

1926年 今のオフィスを購入

その後徐々にコニャック生産者としての規模を拡大していき、1926年にTiffon社の象徴となる現在のシャラント川沿いの本社オフィスを購入。

このシャラント川沿いにある目立つ建物です。現在はこの建物内にボトリングラインや熟成庫の一部、そして近くの敷地内に蒸留所が存在しています。(後述します)

1946年Chateau de Triac 購入

まさに今私とEdouardが話しているこの立派なお城「 Chateau de Triac 」を1946年に購入。すげーな・・・。

第3世代:1979年 BRAATAD氏死去~

100歳の誕生日の数ヶ月前、1979年5月16日にBRAASTADの創始者Sverre Braastad氏が死去。

その後Tiffon社のコニャック事業は彼の8人の子供たちに引き継がれることになります。8人のうち、正式に事業を継承したのは数人。他は全く別の仕事を始めることになりました。

これがTiffon社第3世代の始まりです。 Edouardの祖父世代にあたります。

第4世代:現在の形へ

その後、コニャック生産は滞りなく続けられ、現在の経営陣の世代へ。

現マスターブレンダーであり、Edouardさんの叔父であるリチャード ブラスタッド氏や、経営責任者のJAN氏、 現在は既に職から退いた営業責任者のEdouardさんの父親が活躍する時代です。

出展:https://braastad.com/contact/

第5世代:そして未来へ

現在、Tiffon社第5世代目として未来を背負うのがEdouardさんの世代。今は父や叔父と共に仕事をしながらコニャックのイロハを学びながら今後のTiffon社の行く末を担っていくメンバー達です。

ということで遡ること1879年から、Tiffon家とBrasstad家のハイブリッドな5世代が現在のTiffon社の歴史です。

Tiffonの輸出状況

現在BRAASTAD含めTiffon社のコニャックは約35ヶ国に輸出されています。

そしてここでもやはり言われた・・・1990年、バブル崩壊までは日本も大きなマーケットの一つだった、と。

BRAASTADカクテルエディションの経緯

BRAASTADカクテルエディションは日本でも有名だよ」という話から発展したBRAASTADカクテルエディションの誕生経緯を少し書き添えておきます。

もともとBRAASTADのメンバーは何か革新的で挑戦的なプロジェクトに挑むことに前向きで、BRAASTADカクテルエディションもそうやって生まれたプロジェクトの一つだったそう。事の始まりは7~8年前。3名のバーテンダーがTiffon社に訪れ、「カクテル用のコニャックを作ってほしい!」と尋ねてきたのが始まり。

その時、Tiffon社のメンバーはカクテルに関する十分な知識があまりなく、どのようなコニャックがカクテルに向いているのか、どのようなコニャックを作ればよいのか分からなかったそう。だたできることは「これが我々のコニャックです」と飲んでもらうこと。

そこで見出した方向性はカクテル向けのコニャックを「提供する」ことではなく「一緒に作る」こと。バーテンダーチームはカクテルに関するノウハウを余すところなく提供し、Tiffonはコニャックに関するノウハウを余すことろなく提供する、そしてお互いに研究を重ね、最もカクテル用コニャックとしてバランスのよいコニャックを目指す共同プロジェクト体制を築いたとのこと。

その結果辿り着いた重要なポイントは例えば・・・

  • フルーティーを強調するためにファンボアとボンボアの原酒をメインに使用しよう
  • 余分な色は付けたくないので新樽は使わないでおこう
  • パンチを利かすためにアルコール度数は45%にしよう

といった結論が導きだされたのでした。これらのポイントは全てバーテンダー側の協力により生まれたアイディアであって、Tiffon社のメンバーだけでは辿り着かなかった結果だったとのこと。

そういったチャレンジ精神や、家族経営の会社だからこそ小回りの利く所がTiffonの強みの一つでもある、と声を高く主張していました。

BRAASTAD 1919の舞台裏

そんなこんなで色々と話を聞きながら、話題はBRAASTAD 1919の話へ。

BRAASTADの100周年を祝ったBRAASTAD1919の誕生経緯は先述した通りですが、更に詳しい話を実際に生産に携わった人から直接聞けるのはこの機会しかありません。

参考記事
BRAASTAD(ブラスタッド)1919:100年ものコニャックのレビュー

BRAASTAD 1919のラベル

BRAASTAD1919のラベルデザインにはかなりのコダワリがあり、何度もデザイナーと試行錯誤を繰り返したそう。

BRAASTAD1919の記事でも書きましたが「ラベルデザインはどうでもいい」という人がいますが、私はラベルやボトルデザインも、製作に携わった人がいる限りそのコニャックの重要な商品価値の一つとして評価されるべきだと考えていますので、私にとって「どうしてこのデザインになったのか」は知りたいポイントでもあります。

実はBRAASTAD1919の商品説明にもちゃんと書いていたのですが改めて聞くと、この銅と黒の配色には意味があり、銅色は銅でできたは蒸留器を、そして黒はコニャックの成分によって黒くなる熟成庫を象徴した配色にしているとのこと。(熟成庫が黒くなる理由は蒸発するコニャックの成分によってできる小さな菌類(マッシュルーム)によるもの)

ラベルのエンボス加工も、1919の文字の中にある小さな1919も、何度もデザイナーと試作品を重ねながらBRAASTAD100年を象徴するに相応しいデザインに辿り着いたそうです。

BRAASTAD 1919の価格

そして最も核心に触れる質問へ・・・

ずばり「何でこんなに安いのか?」である。そう、このBRAASTAD1919は100年前の原酒を含み、平均で80年熟成という長熟のコニャックが使用されているにも関わらず、現地の小売価格帯で約150ユーロ(約2万円くらい)という通常では考えられない価格でリリースされてるボトル。一般的には80年熟成となるとこの10倍の値段でもおかしくない規格です。このBRAASTAD1919以外にもTiffon社のコニャック、特に限定ボトリングの長熟コニャックは一般的な市場価格の概念からは信じられない価格帯でリリースされています。(日本に入ってくるとバカ高くなるけど)

この質問をするのはいささか気が引けましたが、せっかくの機会なので彼らの意図を聞いてみることに。

価格という点において彼らが大事にしてるポイントは2つ。

①お金のためにコニャックは作らない

お金儲けのためのコニャックは作りたくない。家族経営のため必要以上に儲ける必要はなく、利益として得る部分もほとんどはより良いコニャック作りのための投資として使う。

②100年の感謝を込めて、より多くの人に手に取ってほしい

最も重要なポイントはこれ。極端に安い価格にも、極端に高い価格にもせず、ギリギリの範囲で最も多くの人が手に取りやすい価格で世にリリースしたい、という意思。

このBRAASTAD1919はBRAASTADを愛してくれている人への恩返しであり、最も重要なことはより多くの人にBRAASTADの事を知ってもらい、BRAASTADの歴史とパッションを共有できること。

彼は口調を強くして言いました。「正直言うと100周年記念ボトルとして今の10倍の値段で売ることは別に難しい事ではない。だけど決してそれはしない。このボトルの意図に反するし、私達にとって何の意味もないから。」と。

彼は続けます。

「このボトルはBRAASTADのコニャックを飲んでくれている全ての人に対してこれまでの100年間の感謝を表したボトルであり、そしてこれまでBRAASTADを知らなかった人達にもっと知ってもらうためのボトル。だからこの価格帯で売るようにしている。」

彼の口から発せられる一言一言は大変重みのある言葉でした。

文章にするとセールストークや奇麗ごとのように受け取られてしまいそうですが、実際の会話では、ここ一番というくらいかなり熱の入ったトークで、彼の情熱が心から伝わってきました。「これは奇麗ごとではない、本気の言葉だ」と感じた私は彼以上に興奮していたかもしれません。

そして最後にこう締めくくります。

「記念ボトルだから数本買って開けずに取っていて後から売ったりしようと考えてる人もいるけど、そんな勿体ない事しないで皆でシェアして楽しんで飲んでほしいね!」

(m´・ω・`)m

すみませんでしたぁぁぁぁー。

2本買って1本は記念に・・・と開けずに取っておくつもりだった私にグサっと刺さる言葉でした。

すみません、取っておくのやめて開けてないもう1本も誰かとシェアしながら楽しんで飲もうと思います。

BRAASTAD1919のレビュー

小売価格1本150ユーロ(約1万8千円)相応の100年ものコニャック・・・

とかいうクソ生意気な事を書いた私ですが、この話を直接聞く前と聞いた後ではBRAASTAD1919に対する考え方が大きく変わってしまいました。

「味」は変わりませんが、歴史を感じながら飲む「味わい方」が変わった・・・という意味の方が近いかもしれません。

とにかく彼らの情熱を直に聞くことができて良かった。

2020/1/18 追記:売り切れました

BRAASTAD1919ですが、売り切れてしまい在庫なし(追加生産もなし)との連絡が入りました。残念。

BRAASTADの蒸留と熟成

一通り話を伺い、城の中を見回った後は、Jarcnaの街に戻り、熟成庫と蒸留所を見学。

Tiffon社は全体で13か所の熟成庫、そして10基の蒸留器を保有しています。

この10機並んだ蒸留所もまた壮観なのですが、何やかんや書いているうちに7000字を超えて記事が長くなってしまったので、続きは次の記事にて。

うーん、最初はこのコニャック滞在記の1日分を1記事にまとめるつもりだったのですが、色々振り返ってみると書くことが多すぎで全く1記事にまとまりません(笑)

次の記事
BRAASTAD訪問(2)蒸留と熟成庫そして大量のお土産を貰ったけど、どうしようコレ・・・

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