ブランデー知識【中級編】

コニャックAOCが定義される以前のコニャックとは?

2017年9月30日

ブランデー総合サイトっぽく、たまにはコニャックの歴史を振り返ってみましょう。

そう、「コニャックAOCの規定ができる前のコニャックはどんなコニャックだった!?」です。

現在、「コニャック」と名乗るには、産地や原料、蒸留方法など様々な規定があり、それらはコニャックAOC(Appellation d'origine contrôlée)という原産地呼称制度によって厳密に管理されています。ちなみにAppellation d'origine contrôléeの日本語読みは「アペラシオン・ドリジヌ・コントローレ」でOK。

コチラの記事にも書いていますが、とりわけコニャックAOCの原料に関する規定をおさらいするとこんな感じ。

6つの産地で採れた原料を使用している(グランドシャンパーニュ・プティットシャンパーニュ・ボルドリ・ファンボア・ボンボア・ボアゾルディネール)
原料のブドウの90%はユニブラン、フォルブランシュ、コロンバールのいずれかを使用しないといけない。10%までなら以下の品種も混合することが認められている。
フォリニャン、ジュランソン・ブラン、メスリエ・サン=フランソワ、モンティル、セレクト、セミヨン。

その他、蒸留、熟成、ブレンドにおいても細かな規定があり、それらに従わないと「コニャック」と称することはできません。

フランス政府によってこのエリアが定められたのが1909年。そしてより細かなコニャックAOCの基準として完成したのが後の1936年の事。まだ100年も経っていません。

第二次世界大戦まではフランス政府によってAOC管理されていましたが、第二次世界大戦後はフランスコニャック協会「Bureau National Interprofessionnel du Cognac(BNIC)」によって管理されています。現在もコニャックAOCはBNIC管理下です。

ではそれ以前に作られていたコニャックは?今のコニャックとは違ったのでしょうか?

16世紀半ばの輸出ビジネス

コニャックの歴史は遡ると3世紀のワイン造りから始まることになりますが、その中でも大きな出来事は16世紀。

当時有名だったフランスの「シャンパーニュ」と「ボルドリ」のワインを調査するためにオランダから船が到着します。着いた港はフランス コニャック地方のシャラント県。

もともとこの「調査」とは、当時シャンパーニュとボルドリから輸入されるワインの質が落ちてきている理由を調べるものでした。当時のフランスのワインは質の保全に弱く、長い船旅に質を保つことができなかったのです。

そしてその後、オランダ人によってフランスのシャラント県に新たな蒸留所が作られます。蒸留し、長い船旅でも劣化しないアルコールの強いワインを作る為です。(もはやワインではないですが)

その蒸留器が現在のコニャック製造に使われるシャラント式単式蒸留器の元となっています。オランダ人によって作られたこの最初の蒸留器は今でもフランスシャラント県に存在します。

それは当時オランダ語で「brandwijn」と呼ばれていました。brandwijnとは英語burnt wineの意味で「焼いたワイン」の事。Brandyという名前の始まりです。

シャラント地方の発展

その後、フランスのシャラント地方ではワインを蒸留させただけの状態のBrandy、所謂「オードヴィー」をどんどん作るようになりました。

商品として「Cognac(コニャック)」という名称が初めて売買契約書で使われたのは1617年の事だそうです。

シャラント地方で採れるブドウ(主にフォルブランシュ)は、ワインを作るよりも、ワインを蒸留したオードヴィーの方に適していたようで、それ以降にシャラント地方でフォルブランシュを使ったワインはあまり作られなくなり、そのほとんどが蒸留後のオードヴィーを作るために採取されるようになりました。そして1700年代にはフォルブランシュを使ったオードヴィーの輸出がシャラント地方で大きなビジネスとなりました。

もともと、「コニャック」という名称は、フランスのシャラント県にあるコニャックという町の名前に由来します。当然今でも町としてのコニャックは存在します。

当時、このコニャック周辺ではかなり質のよいオードヴィーが排出されることで有名でした。特に現在の「グランドシャンパーニュ」と位置づけされる地域は18世紀半ばには最も高品質なオードヴィーを生み出す地域して知られるようになり、当時はその地域から離れれば離れる程オードヴィーの質は落ちていくと考えられるようになりました。(現在でいうファンボアやボンボア、ボアゾルディネールといった地域)

あくまでも当時はね。

昔のコニャックは熟成されていなかった

実は1700年代のコニャックは「熟成」という過程が存在しませんでした。ほとんど蒸留後に即出荷です。

当時、蒸留したてのコニャックは輸出時にリムーザンのオーク樽に入れられて出荷されていました。大量に輸出されていたため、長い間その樽の中で出荷の時を待つコニャックもありました。その出荷の遅れにより樽の中で長期保管されていた無色透明だったコニャックが「色が変わり」「まろやかになり」「少し量が減っている」ことが偶然発見されたそうです。

樽で寝かした(熟成)させた方がウマくなる!!という気づきは偶然の産物だったのです。

・・・まぁいずれ誰かが気づいたでしょうけどね。

ビッグ3の影響と支配:BNICとAOC

そんな中、蒸留したブランデーをそのまま出荷せず、オーク樽に入れてわざと長期的に放置して熟成させてみようと試みたのが、現在のマーテルレミーマルタンです。

当然、その当時は現在のように熟成技術は低かったのですが、それ以来、熟成されていない「若い」コニャックと熟成されたコニャックが区別されるようになりました。そういった意味ではマーテルとレミーマルタンの影響はめちゃくちゃ大きいですね。

その後、VSやVSOP、XOと言った規格が現れるのはまだまだ先の事ですが、そのきっかけとなったのはヘネシーと言われています。

ヘネシーはイギリス ウェールズの王子と後のイギリス国王ジョージ4世に捧げるための特別なコニャックとして、1818年に初めて「Very Special Old Pale」と称したヘネシーV.S.O.Pコニャックを世に出しました。それがVSOPの始まり。

実際にVSやVSOPなどが定義されるのはそれから100年後となりますが、根底にはヘネシーの影響力があります。

現在においてもコニャックAOCを管理しているフランスコニャック協会(BNIC)の重役メンバーの殆どはヘネシーやレミーマルタンなどの超大手の出身者です。そういった意味ではコニャックは今も昔もヘネシー、レミーマルタン、マーテルなどの大手にコントロールされているといっても過言ではありません。

歴史を見ると、現在ビッグ3と言われているヘネシーレミーマルタンマーテルは当時から多大な影響を持っていたことが分かります。何だかんだ言って凄いです。

BNICとAOCと大手と農家と

こうやってコニャックの歴史を振り返るのも面白いですね。

現在、コニャックAOCという規定があり、それに守られているコニャックですが、ある意味支配的な基準でもあります。

コニャックの規定をめる→それ以外はコニャックではなくなる

ということは
コニャックが世界で認知されるにつれ、コニャック以外のものを作ると売れにくくなるという事を意味します。

大手はともかく、プロプリエテールコニャックと称される1農家で製造しているメーカーや、弱小メーカーは嫌でも「コニャック」の規定に従ったコニャックを作るしかなくなります。それに従えない農家は消えゆく運命にあります。

そこには
自由にしたいけど、自由にはできない。守られてもいるし、支配されてもいる。
というコニャック小農家と大手メーカーとBNICの葛藤が垣間見れます。

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