滞在7日目その1
2023年1月17日(火)
この日は午前と午後で2件訪問予定。そのうち午前中はコニャック市街地にあるバッシュ・ガブリエルセン(Bache Gabrielsen)の本拠地に伺い、貴重な経験をさせて頂きました。
バッシュ・ガブリエルセンの場所はこちら。
ここには本社、ボトリングエリア(別棟にある)、テイスティングルーム、ブレンディングエリア、パラディセラー、熟成庫の一部があります。
バッシュ・ガブリエルセンの熟成庫はここ以外にいくつか郊外にあります。コニャック市街地には消防法の関係で、蒸留したての度数が高いコニャック等は保管できないので、この施設にあるコニャックはある程度熟成が進んだものがメインです。
今回は主にショップマネージャーのAilsaさん、そして後半からセラーマスターのJean-Philippeさんと共にテイスティングタイムを過ごさせて頂きました。Ailsaさんとは渡航の3ヶ月前から色々とやり取りをして、日程や場所の調整をやって頂きました。本当にありがとうございます。
バッシュ・ガブリエルセンとDUPUYのおさらい
まずは軽くバッシュ・ガブリエルセンの履歴を追ってみましょう。そしてバッシュ・ガブリエルセンのもう一つのブランドでもあるDUPUY(デュピュイ)についても。
バッシュ・ガブリエルセンとしてのスタートは1905年ですが、少し遡ってみましょう。
1877年:ノルウェーにて、Josef Alexander Gabrielsen氏とKamilla Bache氏が酒屋をオープン。その後息子であるThomas氏が事業を引き継ぎます。
1903年:20歳になったThomas氏はよりビジネスを発展させるために父親の意向もありフランス、コニャックに派遣されコニャックの素晴らしさを体験します。コニャックの作り方を学ぶ中で、ワイン生産者の女性Odetteに出会い、コニャックにしばらく留まることを決意します。
1905年:そして大きな転機を迎えたのは1905年。コニャックで知り合ったノルウェー人の友人Peter Rustad氏と共に1852年創設のコニャックメゾンDUPUY(デュピュイ)を買い取り、Bache Gabrielsenとしてコニャック会社を設立します。その後1906年にThomasとOdetteは結婚し、共にBache Gabrielsenを発展させていくことになります。
1942年:Thomas氏が結核により亡くなり、Thomas氏の長男であるRené氏がBache Gabrielsenを引き継ぎ2代目当主となります。René氏はブレンドや営業も行っていました。
1985年:René氏の長男であるChristian氏が共同経営者として就任。1989年にRené氏は引退。Christian氏はバッシュ・ガブリエルセンをより国際的に発展させるためのブランド戦略に力を入れます。具体的には皆が手に取りやすいよう派手なボトル装飾を止めてシンプルにしてコニャックの中身によりフォーカスしたのも彼です。
2009年:Christian氏は現役引退し、息子のHervé氏がバッシュ・ガブリエルセンを引き継ぎます。Hervé氏は2023年現在、同社のCEOです。ちなみに先代のChristian氏は現役を引退したものの、バッシュ・ガブリエルセンのスーパーバイザーを務めています。
生産規模としては中堅を担うバッシュ・ガブリエルセンですが、そのオーナーは4世代にわたる歴代家族経営のコニャックブランドです。
DUPUYの創設
バッシュ・ガブリエルセンと切っても切れない関係にあるのが、同社が展開するもう一つのブランドDUPUY(デュピュイ)です。
DUPUYは元々バッシュ・ガブリエルセンとは全く別のコニャック生産者で、創業は1852年です。そちらも触れて参りましょう。
1825年:Dupuyコニャックの創設者であるAuguste Dupuyがジャルナックで生まれる。その後コニャックに移動しコニャックのビジネスを開始。
その後息子のGastionに引き継ごうとしますが、息子は父親のビジネスに全く興味がなく、引き継ぎ手がいませんでした。
そこで登場するのが甥のEdmond Dupuy。Auguste氏はEdomond氏にDupuyを引き継ぐ事にします。それから数十年が達ちEdmondも次の担い手を探しますが、なかなか後継者が見つからず、どこかにDupuyブランドを買い取ってもらう事を決意。
その後タイミングよく買い取り手として声を上げたのが先程紹介したThomas氏とPeter氏だったのです。その後買い取ったDupuyをBache Gabrielsenと改名。これが1905年のこと。
Bache Gabrielsenとしての創業は1905年ですが、その前身となるDUPUYは1852年創業なので、1905年と1852年はどちの年もバッシュ・ガブリエルセンにとって大切な年です。
一時はバッシュ・ガブリエルセンのみで展開していましたが、創業時のブランド復興のため現在バッシュ・ガブリエルセンとは別ブランドとしてDUPUYブランドも展開しています。
バッシュ・ガブリエルセン内のオフィスや応接間には前進ブランドでもあるDUPUYに敬意を表して、至るところにDUPUYのロゴがありますし、創業者の写真の一番最初にはバッシュ・ガブリエルセンのThomas氏ではなく、DUPUYのAuguste氏の肖像が飾られています。
最大のマーケットはノルウェー
現在バッシュ・ガブリエルセンは約35ヵ国に自社のコニャックを輸出しています。その中でも最大のマーケットはノルウェー。
元々創設者のThomasがノルウェー出身でもあり、両親がノルウェーで酒店ビジネスを展開していたこともあり、現在バッシュ・ガブリエルセンの最大の輸出先はアメリカでも中国でもなくノルウェーとなっています。
その他の大きな出来事は1916年にノルウェーで発令された禁酒令です。ノルウェーでは、蒸留酒が1916年から1927年まで禁止され、1917年から1923年は酒精強化ワインとビールも禁止されました。
その時、バッシュ・ガブリエルセンの当主Thomas氏は自社のコニャックを薬として販売し、病院からの処方箋があればバッシュ・ガブリエルセンのスリースターコニャック(3年熟成)を禁酒法の渦中にあるノルウェーでも買えるようにしたのです。その時、スリースターボトルのラベルに描かれている3つの★マークを十字架に変えたそう。そのコニャックは今でも「Bache Gabrielsen VS Tre Koris」としてバッシュ・ガブリエルセンを代表するコニャックの一つです。
同じような手法は他の蒸留酒でも取られていたかと思いますが、Thomas氏も抜け目がありませんでしたね。
その他にも2000年にノルウェーに輸出したトラック1台分(1万9000本)の「Bache Gabrielsen VS Tre Koris」が盗まれ行方不明になり、その後その盗難ボトルがノルウェーでかなり安価で売られていることが分かったそうです。バッシュ・ガブリエルセンにとっては悲劇的な事件でもありましたが、それがきっかけでバッシュ・ガブリエルセンはノルウェーで更に有名になり、2年後の2002年には「Bache Gabrielsen VS Tre Koris」がノルウェーで最も売れた蒸留酒となったそうです。今となっては結果的に悲劇が喜劇に転じた出来事として語り継がれています。
セラーマスターのJean-Philippe氏
Jean-Philippe(ジャン・フィリップ)氏は1989年からずっとバッシュ・ガブリエルセンのセラーマスターを務める大ベテラン。
バッシュ・ガブリエルセン3代目当主のChristian氏の叔父にあたります。
バッシュ・ガブリエルセンの2代目であるRené氏が辞める以前から20年以上バッシュ・ガブリエルセンにて共にブレンディングの仕事をし、その後1989年にRené氏引退のタイミングでセラーマスターに就任します。
ある意味歴代オーナーよりも長くバッシュ・ガブリエルセンの中核として存在する同社には欠かせない人物です。
Jean-Philippe氏は類まれなる官能力とブレンド技術をもったセラーマスターとして日本でも評判が高いですね。もちろんDUPUYコニャックのブレンドも彼が行っています。
こちらはセラーマスターの部屋。この部屋で各コニャックのテイスティングを行い、彼の官能によってブレンドが決定されます。
熟成やブレンド工程だけでなく、バッシュ・ガブリエルセンに原酒を提供してくれる契約ワイン農家さん達との関係作りやノウハウを共有するのも彼の重要な仕事の一つです。そして樽の選定も彼が行います。
何百種類のも香気を明確に判断し、何十年も同じクオリティを保つことは私が想像する何百倍もの経験と知識が必要なのだと思います。まさに人間国宝です。
ちなみに彼はBNICのテイスティング審査会のメンバーでもあります。
なお、ABK6のグランドシャンパーニュエリアの蒸留責任者の方の名前もJean Philippeですが全然関係ない同姓同名の別人です(笑)
バッシュ・ガブリエルセンはネゴシアン
重量なことが後になってしまいましたが、バッシュ・ガブリエルセンは契約農家で蒸留されたオードヴィー(熟成前のコニャック)を買い取り、自社で熟成させるネゴシアンです。バッシュ・ガブリエルセン自身は自社畑と蒸留器を持っていません。
契約ワイン農家から運ばれてきたワインは2つのパターンで蒸留されます。
1つ目は蒸留器を持っているワイン農家でそのまま蒸留してもらし、そのオードヴィーを提供してもらうパターン。
2つめ目はブイヤードクリュ(蒸留のみを行う専門蒸留家)にて蒸留してもらい、その蒸留後のオードヴィー(熟成前のコニャック)をバッシュ・ガブリエルセンのコニャックとして熟成させます。ワイン専門のワイン農家の場合は必然的に後者の選択肢となります。
ワイン農家と専門蒸留家、バッシュ・ガブリエルセンとの関係性や業態はある程度規模が大きなコニャック生産者にとってはよくある業態なのですが、やや特殊なので別途記事にできたらと思います。
ワイン農家と蒸留家、コニャックブランドはそれぞれ重要な存在で、バッシュ・ガブリエルセンの場合はワインも蒸留も全てバッシュ・ガブリエルセン専用に作ってもらう流れができています。なのでちゃんとバッチや樽毎にどのコニャックがどのワイン農家のワインを使って作られたのかまで遡ってトレースすることが可能です。
100以上のワイン農家と取引がありますが、その中でも約17の契約農家とのやり取りが大きいそうです。
このピンの場所がバッシュ・ガブリエルセンと契約があるワイン畑。(あくまでもエリアであってピンの数=契約農家数ではありません)
メインはプティットシャンパーニュですが、ファンボアやボンボア、ボルドリからのオードヴィーももちろんあります。
パラディセラーとセラーマスターとのテイスティングタイム
何やら前置きが長くなってしまいましたが、続いてはバッシュ・ガブリエルセンの熟成庫、そしてテイスティングタイムに移ります。
熟成庫では様々な新しい取り組みが行われていました。
と、何か色々書いてたら長くなってしまったので次の記事で詳しく触れていこうかと思います!